塗装工事を手がけて70年。日成工業株式会社(以下、「日成工業」という)がエルライングループに加わったのは、2019年のことです。
当時、会社の内側で何が起きていたのか。どんな判断があって、その後どう変わっていったのか。グループインから数年が経った今、当時を知る2人に話を聞きました。
語ってくれたのは、グループイン後に社長に就任した口田次男と、工事課長として現場を支え続けてきた吉住氏です。うまくいったことも、簡単ではなかったことも含めて。

後継者も、利益も、キャッシュもない——M&A前夜の実態
2019年当時、日成工業の現場は忙しかった。
「2019年はオリンピック需要で売上が非常によく、非常に忙しかった時期でした」
と吉住氏は振り返ります。ただ、その先には不安が見えていました。
「オリンピックが終わればそれから2年ぐらい、売上がガクンと下がる。先の工事がなくなっていくのは、わかっていました。」
前会長のE氏は、その頃すでに動き始めていました。子供2人はそれぞれ別の道に進んでおり、社員の中にも会社を継ぐ意思のある人はいない。銀行などに相談しながら、社員に知られないまま、後継者を探していたといいます。
LLINEとの話がまとまり、締結が決まったとき、初めて社員全員に状況が明かされました。
「前会長のE氏から全社員に向けて、何も変わらないからって伝えられたんです。」
と吉住氏。ただ、実際にはその後、変わることの方が多かったと言います。
社員の反応はさまざまでした。それでも、ほとんどの社員が会社に残りました。
「定年や通勤の事情などで辞めたくらいだと思います。」
吉住氏はそう話します。
純資産マイナスの正体——何十年も続いていた「儲からない構造」
グループイン後、経営を引き継いだ口田氏(現、日成工業代表)がまず手をつけたのは、過去を知ることでした。
「70年の歴史を紐解くところから始めないといけないと思ったんです。誰が社長で、売上はどう推移して、人はどれだけいたのか。そこを知らずに前に進めなかった。」
古い決算書をさかのぼっていくと、ひとつのパターンが見えてきました。売上が5億円から10億円あった時期でさえ、利益はほとんど残っていなかったのです。
「営業外費用で2,400万円支払っていたりするんです。残ったお金が200万、300万しかない。そういう状態が何十年も続いていました。手元に資金もなく、最終的には純資産がマイナスになっていました。」
会社は動いていた。現場も回っていた。でも、数字には長年の歪みが積み重なっていました。

手形・支払条件・販管費——キャッシュフロー改善の順序
最初に取り組んだのは、キャッシュフローの正常化でした。
株式会社エルラインから3,000万円の借り入れを行い、資金繰りをまず安定させました。同時に見直したのが、支払い条件の構造です。
「ゼネコンさんへの請求は現金化まで時間がかかる。昔は手形が90日、現金化まで150日かかることもありました。でも日成工業は協力会社に30日、従業員に15日で払っていた。もらうより払う方が早い、という状態だったんです。」
ゼネコンとの交渉を重ね、現金比率を改善しました。
月末締め翌月末日払いで取引できる客先の比率も、少しずつ増やしていきました。
費用の見直しも、地道に続けました。
「保険料や電話費用など、細かいところから削っていきました。年間で約700万円ほど販管費が下がりました。」
事務担当の人員構成も見直し、会社の電話対応はAIに切り替えました。
「実際に来るのはほとんど営業電話でした。AI対応で十分でした。」
と口田氏は話します。

売上は約1.9倍、経常利益は約27倍——PMI後の日成工業が示す変化
積み重ねた結果、財務の状態は大きく変わりました。
グループイン前、日成工業の売上は約4.7億円、経常利益はわずか約243万円でした。それが、グループイン後の約5年で売上は約8.8億円へ。経常利益は約6,452万円へと変わりました。純資産もグループイン時のマイナスから、約6,417万円のプラスへと転換しています。(2025年9月期時点)
「順当にある会社ですね、というくらいまで持っていくことができた。」
と口田氏は言います。
吉住氏は、数字だけでなく、会社全体の空気が変わったと感じています。
「口田さんが就任してから、みんながまとまってきたというか、同じ目標に向かっているんじゃないかという気がしています。細かいところまで配慮が行き届くようになった、というのが正直な印象です。」
変えるべきことは多かった。簡単ではないことも、たくさんありました。それでも、一つずつ向き合ってきた結果が、今の日成工業の姿です。
変わったのは財務だけではありません。採用、組織、現場の運営——その変化については、次の記事で詳しくお伝えします。




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